皆様、明けましておめでとうございます。nonchangです。
今年もweb拍手ともども、やんわりとよろしくお願いします。
さて、昨日金曜8時の映像配信にて書き初めてきました。
社長が配信開始直後に「漢字二、三文字で」とか唐突な縛りを入れて来たので慌てましたが、おいらの選んだワード群の中からちょうどいいのがあったので、「妥協」に落ち着きました。
「余裕」でも良かったんですが、別の意味合いに取られると大変なので没。言うまでもなく、おいら自身にいばれるような余裕はない。
妥協って言葉、追い詰められたときに何かを諦めるときに使う言葉であると思われがちなのですが——あらためて広辞苑第五版をひいてみると(
どうでもいいけどいいかげん第六版買えよ俺)、なにやら
誤解されている言葉なのかなと案じてしまいました。
「対立している双方(または一方)が折れ合って一致点を見出し、事をまとめること。おりあい」
とあるんですよね。。
……それ、いいことじゃね?
少なくともネガティブな意味が(広辞苑を文字通り受け取ると)まったく感じられない。。第六版ではどう記載されてんやろか……。
第五版の文面からおいらが想像した光景は、下記のようなシーン。
「OK、その点は折れよう。ああ大丈夫、まかせとけ。お互いうまくやろうぜ!」
「頼もしいぜ。安心しろ、俺もこの点については折れてやるからな!」
ガシッ(効果音)
と、このような光景が目に浮かんだ次第です。こいつら広辞苑の言う「妥協」してるでしょ。
ふうむ。もしかして日本人の美学の一部なんじゃないのか、「妥協」。
ならば、今年一年は適切な妥協を座右の銘に据えましょう(※ただし広辞苑第五版の解釈に即す)。技術屋としては、妥協よりも譲歩って言葉の方が滅入ります。
1:道をゆずって他人を先に行かせること。/2:転じて、自分の主張や意見をひっこめて他の説に従うこと。「やむなく—する」(広辞苑第五版「譲歩」の項目より引用)
これだ。この生産性のなさを露呈した表現こそが、おいらがこれまで「妥協」という言葉に対して持っていたネガティブさそのものだ。ウラを読みすぎると「罠を仕掛けて譲歩する」みたいな人間ドラマも垣間見えたりしますし。しねえか。
まあ技術屋としては、一方的に譲歩を引き出すよりも、圧倒的な技術力によって譲歩不要な提案を叩き付けることこそが最たる理想形。これこそが技術屋としてのジャスティス。理想が適わない案件なら妥協。うむ、美しい。
……実のところ、最近あれやこれやと口先仕事になりかけてるので、もっと適切な妥協のしかたを身につけて技術屋の本分に集中しないとなーとか、年明け早々自省中だったりする故の書き初めだった訳です。。能書き垂れる暇で技術検証やるのがスジなんですよね。ぶっちゃけデータも取らずに口先でごまかす技術屋って、自分でも最低だと思いますので新年を機に肝に命じたいところです。特に、疲れてるときとか尚更口先でどうにかしたくなっtyqwせdrftgyふじklo
と言う訳で、今年一年は「妥協」という言葉の意味に真摯に向かい合ってみたいと思います。
併せて「妥協しないぜ!」という言葉の暴力性も真摯に考察し続けたいところ。
改めて、日本人の美学だと思います。「妥協」。
追伸:すぴばるへの「Web拍手ペイント」実装中です。細かいバグ取りも順調(※公開中のアルファ版にはまだundoバグが残ってます。HTML-Flash間のAPI変更を行ったので今暫くお待ち下さい)——個人的にはもうバグないと思いたい水準なんですが、まだ楽観視はできません><; まだサーバ側の作業が少々残ってますが、月内には正式版をお披露目できるよう頑張ってますので引き続き乞うご期待ー^^