全米を泣かす奴は俺が許さん
のらくらアラサーライフ^^
 ドラッカー「プロフェッショナルの条件」読了


ヒマワリさんから借りたまま放置してた、ドラッカー氏の著作「プロフェッショナルの条件」を読了しました。

はい、ドラッカーファンの方には今更感しかないと思います。おいらはiPhone版「もしドラ」でドラッカーに嵌った無知組ですのでどうかお手柔らかに(?)。しかも以下は、読みながら要所をメモったテキストを改稿したに過ぎないものです。読書感想文でさえない。

ただ、ヒマワリさんが「ドラッカー興味あるならコレいいよー」って渡して来たことが凄く腑に落ちる内容だったことは保証できます。尚、元が自分用メモなので丁寧語とかの脈絡ほったらかしです。一応ブログ用に多少整えましたが、妙にぶっきらぼうかつ支離滅裂なエクリチュールです。あらかじめご了承願います。

 

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・序盤は、知識がいかに生産性を変えて来たかを語っている。マルクスの予言ミスを叩いてテイラーを担ぐ流れが面白い。過去にどんな激変があったかを踏まえて、未来を語ろうという訳か。「職業に貴賤無し」という日本人が親しんでいる成句は、ドラッカーの訴える「知識労働者による社会」という構図の前では空しく響く。

・ドラッカーは、コミュニティは安定を求め、組織は破壊と創造を担うものだと規定する。組織にはあらゆる組織が含まれていて、成果を欲するものだと言及している。ではたとえば友人グループのような目的性にかける集団は彼の言う組織ではないのかな。そのグループが共同で作業をすることになれば、たちまち彼の言う「組織」として扱われるんだろうけど。

・『組織の構成員は全員がエグゼクティブである』という見方を通して、成果を阻害する要因を丁寧に解説している。

・行動の前に期待値をメモり、半年というスパンで振り返る手法を紹介している。これはおいらの仕事にも組み入れたい。仮に今のおいらに適用してみる。手描きつぶやき開発前のおいらは、すぴばる上で手軽なレタッチが活用され、手描きによってユーザの会話が弾み、かつ手描きの評判を通してさらにユーザが増える事を期待していた。少なからず実現できたと思うんだけど、今のところ大きな波は来ていないとも言える。反省点は何か。今のところ、低機能だという事が言えるくらいで開発時点でのおいらが何か間違っていたかという判定はできない。半年後、おいらの仕事がWeb拍手に何をもたらしたかという反省は可能だろう。そのための自己計画は今日から作っておかなければ意味がない。

・成果を上げるには、何に時間を費やしているかを調べる事が重要と解く。

おいらの事例だと……社内のコーディングルールはもう一段階整理したいところかな。だんでぃの書いたソースコードを調べておいらの担当してる部品に適用する作業は、かなり時間を取られてる。でもそれを改善するには綿密な打ち合わせと技術検証が必要であり、だんでぃを納得させるための資料集めとプレゼンの計画を綿密に行う必要があり、……うがあああああああ!!

・「会議(の開催)は、あくまで例外にしなければいけない」という言及はかなり胸を突く言葉。

幸いweb拍手内では、『会議のための会議』は不要だ。会議に集まるまでもなく皆同じ部屋に居るので、声を掛ければ確認が完了するw かつ、普段の雑談でさえ必要な情報は十分に共有できている。将来、人が増えたりする時がきたら、会議病に陥っている部門が出ないか調査する必要は出るかもしれない。

・ドラッカーは「時間は常に赤字」という金言とともに、時間のまとめかたのヒントを述べている。時間を節約したところで、細切れの時間を創出できても意味がない。まとまった時間がなければまとまった仕事は達成できない——ううむ、とても身に染みる。プログラマの事例に置き換えても、例えば場当たり的な修正を行ってバグ対策してばかりいるとあとで修正しにくいプログラムになっていくという泥沼に陥る。俗にいうスパゲティ・コードの完成である。泥沼に陥る前に、まとまった時間を作って再設計やクリーンナップをしなければいけません——でも、現実的にはそんな時間は滅多に作れないっす^q^; まあドラッカーは、週に一度は自宅作業するというアイデアを紹介されてますが。んでおいらに限らずですが、Web拍手のスタッフは必要とあらば休日出社でこの辺は補ってると思います。多分。

・仕事の優先順位の決め方について、「必要なのは勇気だ」といういささか面食らう節がある。

優先順位の決定については、いくつかの重要な原則がある。しかしそれらの原則は全て、分析ではなく勇気に関わるものである。すなわち第一に、過去ではなく未来を選ぶことである。第二に、問題ではなく機会に焦点を当てることである。第三に、横並びではなく自らの方向性をもつことである。第四に、無難で用意なものではなく、変革をもたらすものに照準を合わせることである。(ダイヤモンド社「プロフェッショナルの条件」143頁より)

ううん、無難な仕事を無難なやり方で着実にこなすことを全否定してますね。ドラッカーはこうしなければ「時間や仕事の従者」になると警告しています。興味深い示唆だけど、おいらの仕事に即座に反映する事は無理そうだ——過去に関わる仕事、すなわち「デバッグ」や「リテイク」はプログラマにとって1、2を争う重要な仕事だと思ってるし。。若しくはこのおいらの先入観自体を修正すべきだと言うておるのかもしれない。でも無学なおいらにはちょっとどう修正すべきか想像できない。また、この辺についてはドラッカーさんもどちらかというと全体を通して「自分で考えろ」って言ってる感じ。えーん。

・ドラッカーはまた、コミュニケーションが失敗する理由を挙げ、対処策として「目標と自己管理によるマネジメント」がコミュニケーションの前提だと説く。上司の目標と自己管理、部下の目標と自己管理が成立していれば、見方の齟齬があってもコミュニケーション自体は成立する。

まあこの節については、正直web拍手は懸念不要な状態だと思うので言及割愛。

・リーダーシップに関する言及が面白い。リーダーシップにおいて、カリスマ性やリーダー的資質ってものの必要性を真っ向から否定している。

おいらなんかは、リーダーにはカリスマ性が必要だろうと思っていたクチなので正直舌を巻いた。Appleファンとしてはジョブズ氏が真っ先にリーダーとして思い浮かぶ。波瀾万丈な経歴があり、傾いていたAppleを華麗に立て直し、常人には真似出来そうにない発言や行動の逸話で溢れている。——もちろんドラッカーがジョブズを否定しているという訳ではない。ドラッカーの指摘が凝縮された一文を引用すると、

効果的なリーダーは、自分が世界の支配者ではないことを痛いほど知っている。スターリン、ヒトラー、毛沢東といった似非リーダーだけが幻想に取りつかれた。同185頁より

という点。ジョブズがAppleに戻った早々にやった発表が、当時のAppleの宿敵マイクロソフトと手を結び合った事だった。支配者志向を捨てていたか隠蔽していたという事になると思う。当時のApple及びジョブズは、今ほど語られてない——それこそ今ひとつ話題性に欠ける存在がうにょうにょと蠢いてる的な印象でしかメディアに扱われていなかった。

ドラッカーに戻ると、なにが必要でなにが不要かを判断して、適切に行動する組織がうまくいくと彼は語る。そのために必要なリーダーの仕事についても具体例をいくつか挙げているが——要するに、とてもつまらないことをきちんとやる仕事、として解説している。カリスマ性なんぞに夢を見るな、とでも言いたいかのような全否定だ。

このブログ執筆時点でこそ休養中ではあるものの、Apple復帰後のジョブズ氏は少なくとも今に至るまでドラッカーの言う必要な仕事はきっちりやり遂げていた人だと改めて思う。不要なものの判断の仕方、およびその捨て方については常人には想像つかない程度に大胆だったかもしれないけどね。

尚、この本におけるリーダーシップへの言及はとても短い。著者自身、「前々から知られている経営者の条件と何も変わらない」事を認めている。

・お得意のイノベーション論も展開されている……んだけど、この「イノベーションの七つの機会」についてはドラッカーの他の書籍をあたるべき。本書ではなんも解説されてないに等しい。一応、以下に本書で列挙されてた項目を引用しておく。

1:予期せぬこと 2:ギャップ 3:ニーズ 4:構造の変化 5:人口の変化 6:認識の変化 7新知識の獲得198頁より

・「イノベーターはリスクを冒さない」という節で触れられてる内容も興味深い。成功した起業家による体験談も添えられている。彼らは思いの外、冒険的なことはやってないと言うのだ。——おいら自身、成功を狙うにはリスクが伴うものだと誤解していたクチなので軽くショックである。

もちろんドラッカーがチャレンジする事を否定している訳ではない。リスクを最小限にし、機会を逃さない(または獲得する)ことが重要だとまとめている。

・Part5ではいささかうんざりする指摘が続く。Part5第二章「教養ある人間が社会を作る」では、ポスト資本主義についてのドラッカーによる洞察が続く。理想郷への洞察に相当するんだと思う。一文を引用するとこのような論調だ。

ポスト資本主義社会は、これまでのいかなる社会にも増して、教育ある人間を必要とする。(中略)われわれの必要とする教育ある人間は、ほかの偉大な文化や伝統を理解する。中国、日本、朝鮮の絵画や陶磁器、登用の哲学や宗教、そして宗教及び文化としてのイスラムを理解する。同時二、人文主義者の教養課程に特有の書物偏重主義を超越する。教育ある人間は、分析的な能力だけでなく、経験的な知覚をもつ。(同221頁より)

これは無理だwww ……いやね、おいらも20代の大半を衒学志向な似非知識人への憧憬を元に、重度の中二病患者を演じ続けたつもりだけども。ドラッカーのこの要求は、知ったかぶりさえ無理な要求。おいらだけじゃないと信じたいけど、おいらは中国や朝鮮の文化どころか、自国の文化を知悉することさえままならない。陶磁器や絵画への知識なんて、それこそたとえそれが日本の物であったところで所詮古物商や蒐集家の知識、すなわち専門分野としての知識だと信じてこの30年間疑わずに生きてきました。ましてや、イスラムに関する書物やネット上で出会える情報を読んだ程度ではイスラムのイの字も見えて来ない。勿論、そんな程度で理解できる文化があると思うこと自体がその文化に対して礼を失った認識だと反省しております。。

イスラムを理解したと言える日本人は、真摯にイスラムも学んだ日本人だろう。で、この場合に於いてその人は間違いなく、専門知識として誇るに足る。イスラムとは何かを我々に解説する知識を持つ日本人ということになる。イスラム圏の人々には申し訳ないが、イスラムを知るにはイスラムの経緯を知り、何故今のイスラムがあり、かつ我々がつい見落としがちな「日本人にとって当然のこと」をイスラムに置き換えて考察する知識と教養が要る、そして、我々にとって重要な懸案は、日本人の大半がイスラム圏の物事を知らなくても日々の生活に困らないという事だ。これが日本人の現在の国際社会リテラシーの現状だし、英語もまともに扱えないおいらからすれば個人的には恥じ入って「すみませんおいら個人的に鎖国してるような状況ですんで」と謝罪するより他はない。まず学ぶなら英語である。英語圏の理解が覚束ないおいらにイスラム圏の理解は遠過ぎる訳である。『アッサラーム・アライクム』って挨拶の言葉だけ知ってたけど、ぐぐってみるとこれ「あなたがたの上に平安がありますように」っていうとっても重たい言葉なんですね。おはようとかhelloと同列に使っていいのかってレベルから疑問に思う。それがおいらにとってのイスラム圏。

ここで、はて、と思い悩む。ドラッカーは我々愚民に、本当にそんなことを求めているのかと。英語圏の方々だって、イスラム文化に精通している人は少なかろう。日本人をチョンマゲ扱いしてる人だっていそうだし(※偏見)。

読み進めてみると勿論そうではなく、上記の準備を要するという流れの警鐘で締めくくられている。つまるところこの章はユートピア論に収まっていて、邦題の「プロフェッショナルの条件」をあまり語ってはいない。ただ一つ興味深い指摘は、ドラッカーが「これから起こる最大の変化は、知識における変化だ」と断じている点か。情報化社会に対してサービスを提供する側の人間として、この章のやや逸脱気味なドラッカーの示唆は余りある密度を持っている。正直重過ぎて胃もたれしそうなくらい。「さあ熟慮せよ愚民共」って言われてる気分。一例としてか、専門家は自らの知識領域を理解しやすいものにする責任を果たさなければいけないという。専門知識を一般知識に変換する責任があるということか。おいらの専門領域であるプログラムの知識は、如何にして一般知識に変換できるんだろうか……?

フォローといえるかどうかも判らないけど、この本全体を通して言えば、この章を除けばおいらみたいな無教養な人間にも判る書き方で、おもしろおかしい例文付きで書いてくれてます。

・この本を通じて(もしくはドラッカーの書籍一般を通じて、かもしれないけどそこまでは知らん)、『君は何によって覚えられたいか』という科白が幾度となく登場する。翻訳が怪しい気がするのだけど、前後を読めば『あなたという人間の事を、他人に「何をした人」として知られたいか』という事だと判る。どうやらこの文脈に於いて、肩書きや地位は無意味っぽい。それらはこの本を通じて、ドラッカーが口を酸っぱくしてイミネーヨと言い続けている事でもある。

自分に置き換えてみれば、たとえば「拍手ペイントを作った人」として認知されたいなーという願望はある(※現状の成果でそれが適わないのは存じてます。すみません。今後の機能強化にご期待ください)。でもドラッカーが言ってるのはそういう一時的な事ではあるまい。将来的にどう評価された人間になりたいかを分析しろと言っているように読める。加えて、明言させようとしているからには「自分で何によって覚えられたいかを決定しろ」と言っているに他ならない。

まあ、正直無茶言うなよとは思うけど。おいらに限らずプログラマ業界は、十年後にトレンド技術を理解できるのか心配になるプログラマで溢れかえってます。。五年前に覚えたプログラム言語がゴミ箱行きとかザラです。ちなみにおいらの場合は.net登場以前の旧VB習得コストが一番痛かったです

 

ここで話を戻して真打ち登場。なんとこの「プロフェッショナルの条件」の最終章は、付章としてeコマースに触れてます。この最終章は、おいらが長年抱え続けている漠然とした不安を払拭してくれるのか。

前説明的な示唆を理路整然と並べた後、早速ドラッカーによる命題が提示される。曰く、『今日IT革命と呼んでいるものは、実際には知識革命である(251頁より)』。

……読了後の結論を付記しておくと、なんも払拭してくれなかった><

今起こっているIT革命とは、過去に起こった産業革命と大差ないという論調だ。つまるところ彼の結論は明らかだ。チャンスを得られるなら得るだろう、過去にしがみつくなら空しい結果が待っているだろう——うん、異論ない。ただし知識社会になっている事を重大視して締めくくっている。

一番救いになる言葉は締めの言葉だ。

『彼らを部下としてではなく、同僚のエグゼクティブとして、単なる高級の従業員としてではなく、パートナーとして遇さなければならない。』

 

おいら自身、高給がほしくてWeb拍手のスタッフになった訳ではない(そのためなら前の職場にしがみついていたと思います——ほんと、給料よりも大事な事が沢山あります^^;)。

自分自身、色んな創作を楽しんでる身なので、その観点からもユーザ諸氏の創作的活動やコミュニケーションをより円滑かつ簡単に実現する方法を技術屋視点で熟考していきたいと思います。乞うご期待。

 

※ただしおいらはプランナーではなく技術者です。問題のあるアイデアはだんでぃとヒマワリさんがきっちり厳密に突っ込んで没るので、おいらを介したアイデアは滅多に表出しません。。ご了承ください^^;

 

 * * *

 

ドラッカーは未来予測に長けた人だと評されることもある。実際は(もちろんドラッカーを精読されてる方々はご存知の通り)、『当たり前の事なのに見落としがちな事』を適確に、かつ理路整然と並べ立てる智慧の人だ。アクロバッティックな理論も提示しないし、オカルトの介在も許さない。爆弾発言もなければつまらないギャグや比喩もない。

ただのビジネス書として読んでも素晴らしく、なにか革命的なことを起こしたいと思ってる人にも素晴らしい内容。加えて、一番の対象読者はやっぱり「漠然とながら自分のやりかたはベストじゃねえ気がする><;;」って不安を覚えてる方々の処方箋として、だと思う。勇気をくれるし、今までやってなかった「やんなきゃいけないこと」を実例が想像しやすい形で次々と提示してくれる。

十年前にこの本と出会ってたらなぁ……ってのが正直な感想。でも実際には本ばっかり読んでても成果は上がらないし、現実的にそんな余暇がある人間は少ないと思う。この本と同じ、乃至それ以上の価値のある本を通読する機会はしばらく訪れないんだろうなぁ、とも思います。

 

「ふざけんな、ドラッカーなんてとうに読破してるよ!」って人でなければ、本書は個々人のビジネススタイルを見直す機会としてとても有益に働くと思います。万人にお勧めって訳ではないのも正直な私見ですが。。

 

……改めて思うと、ヒマワリさんが「お前いろいろ駄目だからこの本読んどけー」って意味で渡して来たんじゃないかなー……って思うくらいには、おいらにとっては有益でした。まる。




 
 プロフィール

アラサーのおっさんですが皆からのんちゃん呼ばわりされてます。学生時代のあだ名がここまで禍根として残るとは思いも寄りませんでした。
web拍手ではシステムエンジニアとしてのらくら頑張ってます。
web拍手の外では底辺ボカロPとかいろいろやってたりしたりしなかったり^q^
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